かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

七月大歌舞伎「海神別荘」(2009/07/16@歌舞伎座)

20090716-09東京 東銀座 歌舞伎座20090716-14東京 東銀座 歌舞伎座
【出演】
美女:玉三郎
博士:門之助
女房:笑三郎
沖の僧都:猿弥
公子:海老蔵

上京恒例の歌舞伎座幕見見物。お目当ての演目は「海神別荘(かいじんべっそう)」です。今回は江戸時代から続く純粋な歌舞伎演目ではなく、玉三郎さんが繰り返し熱心に上演している泉鏡花の戯曲作品。泉鏡花は地元金沢出身なので作品名などは頻繁に見聞きするのですが、読みやすいとは言いがたい独特の文体ゆえ、作品を読み通したことはありません。お芝居ならば少しはわかりやすそうなので、今回の観劇はいい機会です。夜の部には同じ鏡花作品でさらに著名な「天守物語」も上演されていたのですが、時間的に都合のいいこちらをチョイス。

この公演は13時10分から。1本目開演直後の11時過ぎに歌舞伎座に到着し、幕見席の順番につきました。前から5人目くらいだったので待合の椅子に座れます。筋書きなどを読みつつ待つこと1時間半、入場時間となり階段を駆け上がり、ほぼ中央の座席を確保。歌舞伎座左隣の歌舞伎茶屋で購入した「歌舞伎おむすび」を食しながら開演を待ちます。
20090716-15歌舞伎おむすび@東京 東銀座 歌舞伎座

物語は、海底の宮殿の公子(海老蔵)のもとに、地上の世界から美女(玉三郎)が輿入れする話。懸念されていた鏡花作品の難しさですが、台詞が口語的なので、いわゆるふつうの時代物の歌舞伎演目よりもむしろよくわかります。というかこの作品は、童話のような幻想的な設定とか、神秘的な舞台美術とか、玉三郎さんや海老蔵さんの美しい姿といった表面的な部分に目を奪われがちですが、実は台詞の中身で味わうべき純然たる台詞劇というべきでしょう。なかなかに考えさせられる、深遠な意味を包含する台詞があちこちに出てきて、ひじょうに興味深かったです。

たとえば、宮殿に着いた美女が、海に沈む自分を見て死んだものと嘆き悲しんでいた親に無事な姿を見せたいと公子に願うのですが、その際美女は「人に知られないで生きているのは、生きているのじゃない」「誰も知らない命は命じゃない。いただいた宝物も人に見られなければ価値がない」と言います。これに対し公子は「人は自分で満足すべきだ。人に値打ちをつけさせてそれに従うものじゃない」「宝物も見せびらかすと価値が下がる」と反論します。たしかに公子の言うことは真っ当ですが、美女の言う他者からの承認願望、これも人情というものです。

そんな人間の欲望というものをあっさりと否定し、終始泰然と振る舞う公子ですが、これを演じる海老蔵さんの存在感が抜群でした。人間界の常識とは超越した思考で飄々と自説を述べ、それでいてまったく悪意を感じない上品な振る舞い。まさに貴公子という表現がぴったりです。突出した見た目の美しさはもちろんのこと、時代物とは違ってほどほどに力の抜けた発声が、公子の無垢で原理的な性質をよくあらわしていてとても効果的でした。

そんなわけで、玉三郎さん&海老蔵さんのおかげで、ようやく鏡花の世界を垣間見ることができ、しかもたいそう興味を持つことができました。今後、あらためて鏡花作品の読み物に挑戦してみようという気になっています。

20090716-10東京 東銀座 歌舞伎座20090716-12東京 東銀座 歌舞伎座