かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

「ユーティリティ・ワーカー」

不安の時代の若者たち小村智宏の未来経済研究室
GYROS 第8号(2004年11月刊行)特集「職場の若者」への掲載論文

「いい大学を出て、ホワイトカラーの職場で終身雇用」という単線階層的な旧来型人生モデルが崩壊した今、これから仕事を選択する世代は、高齢になっても続けられる仕事を選択すべきとし、「自営業」「専門性の高い職種」「ユーティリティ・ワーカー」の3つの選択肢を挙げる。
とりわけ、「ユーティリティ・ワーカー」への言及が興味深い。
 そして第三には、低賃金で生産活動の補助的な業務を担う「ユーティリティ・ワーカー」の道がある。現在のフリーターの一部もこれにあたるが、高齢者の雇用のかなりの部分が、そうした低賃金労働で占められてきた。これからの時代にも、この種の労働力へのニーズがなくなることはない。仕事以外の趣味や社会貢献活動などに人生の意味や楽しみを見出すことができれば、これも立派な選択肢の一つとなり得る。
このように、労働力としての必要性および職業観・人生観からの許容性を示して「ユーティリティ・ワーカー」の存在意義を認めた上で、
 社会制度が現状のままであれば、低賃金のユーティリティ・ワーカーは社会的弱者の地位に甘んじざるを得ない。とはいえ、ここまで見てきたとおり、企業が正社員の雇用を拡大することは期待できない。これから求められるのは、彼らを旧来型モデルの正社員にしてやることではなく、社会保障や税制を企業の正社員であることを前提としないものに組み替えることで、ユーティリティ・ワーカーの経済的な処遇を向上させる施策だ。そうした施策は、専門職・技術職の人々や自営業者にも恩恵を及ぼすことになる。彼らもまたユーティリティー・ワーカーと同様、特定の企業に依存しない生き方が前提になるからだ。
と、「ユーティリティ・ワーカー」の処遇改善を訴える。もっとも、「企業の正社員であることを前提としない」社会制度というのは、終身雇用が崩壊した現状では、「ユーティリティ・ワーカー」に対してのみ求められる施策というより、むしろいたって合理的な帰結だ。おおいに納得。
 また、社会的な地位の面でも、フリーターやユーティリティ・ワーカーをいたずらに貶めず、社会において一定の役割を果たす存在として正当に位置付けることが求められる。その意味では、フリーターに対して否定的な論調が目立つ近時の風潮は、きわめて残念なことと言える。旧来型モデルにおける常識にとらわれてフリーターの生き方を否定したことが、その他の選択肢を持たなかった若者たちを「ニート」と呼ばれる不幸な境遇に追い込んだ可能性もあるのではないだろうか。
若者に対し、あくまで期待と愛情をもってやわらかく鼓舞する論調が見てとれて、温かみを感じる。現状認識もわかりやすくまとまっており、素直に受け容れることができた。