かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

金沢市玉鉾「野間神社」に(たぶん)市姫神社由来の祠

北陸新幹線開業でブームに沸く金沢。
中でも、金沢市民の台所として親しまれている「近江町市場」は、観光スポットとして俄に注目を集め、週末は観光客であふれています。

その近江町市場の氏神産土神・うぶすながみ)が市姫神社です。近江町市場の北東、国道159号線を挟んだ場所にあります。



で、この市姫神社ですが、昔は市内郊外の「玉鉾」にあったと言われており、そのことを示す祠があるという噂を聞きつけました。地元民としては、玉鉾といえば野間神社に違いない!とアタリをつけて、現地に足を運んでみました。

野間神社

鳥居(境内東側)をくぐると正面(境内西側)に本殿がありますが(まずはお参りをさせていただきました)、左手(境内南側)にもうひとつ鳥居があります。

野間神社内鳥居

その奥には、由緒書きとともに、小さな祠が。

由緒書きと祠

由緒書きを見てみます。

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読みにくいですが…何とか解読して書き起こしてみましたよ。

野間神社

鎮座地  金沢市玉鉾三丁目一三二/一三三番地
祭神 豊宇賀能売神(とようかのめのみこと)
祭日 
 例祭 四月二十二日
 春祭 四月二十一日より三日間
 秋祭 九月二十一日より三日間

由緒
当社は加賀郡に属する延喜式内野間神社であるといわれ
加賀國式内社等旧社記に「野間神社 式内一座玉鉾郷玉鉾村鎮座祭神豊若陽霊尊兮玉鉾宮と称す
旧伝にいはく 往古以来加賀郡之處中古石川郡内となる」と記されている
犀川筋の移動により石川郡に編入されたためである

日本総國風土記に「玉戈野間神社 圭田三十三東祭る所 豊宇賀霊尊なり
斎明天皇二年丙辰九月始めて圭田を奉り神禮を加ふ 神家巫戸等在り」
と見えて古来皇室の崇敬篤き名社であったことがわかる

永らく玉鉾神社と号して来たが 明治十四年十月 野間神社の旧称に復した
明治三十九年十二月 神饌幣帛料供進(しんせんへいはくりょうきょうしん)の村社に指定せられた

旧鎮座地は西北方にあったが二百年程前に現地に移ったのである
東方に宮畑と称する所は攝社市姫社の跡地といわれ
境内東南隅にある石祠はもと本殿内に祀られてあったという

茲に社殿の改築を記念して此の碑を建つ

昭和四十八年九月

尾山神社宮司
鏑木勢岐 撰

東方に宮畑と称する所は攝社市姫社の跡地といわれ
境内東南隅にある石祠はもと本殿内に祀られてあったという


・・・とのことです。明記されていないのが残念ですが、文脈的に、この「石祠」の「本殿」とは市姫神社のことを指すと思われます。

そして、「境内東南隅の石祠」とは、まさにこれでございます!

石祠



というわけで、おそらく、これが「市姫神社が以前玉鉾にあったことを示す祠」であると思われるのでございます。

以上、調査結果でした!