かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

崖の上のポニョ

舞台は海辺の小さな町。崖の上の一軒家に住む5歳の男の子・宋介と、さかなの子「ポニョ」の出会いと成長の物語。宋介に出会ったことで人間になりたいと願うようになったポニョは海の世界を抜け出しますが、そのために人間の世界に大変な事態を引き起こします。ニコニコわくわくして、ドキドキうるうるして、ハッピーエンドでよかったね的な、楽しくかわいらしい作品でした。宋介と同年代の子どもが観たら、文句なく面白がるのではないでしょうか。「ぽ~にょ ぽにょ ぽにょ♪」の印象的なフレーズが耳について離れないエンディング曲も存分に魅力的で、子ども向けのおはなし=童話としてきわめて良質な作品といえましょう。

――と、このように素直にシンプルに鑑賞すれば、それでめでたしめでたしということになるのでしょうけど、この作品には、不自然というか、ありえないというか、そういうツッコミたくなる場面が続々出てくるのです。あるいは、違和感というか、気味悪さというか、いやちょっと待ってそれどういうコト?いったん止めて整理したいと思うような箇所もちょいちょいあります。で、それらが実は巧みに仕込まれた伏線であって、物語が進行するにしたがって見事に回収されていくというのなら、それはそれでかえって爽快なのですけど、残念ながらそういう深読みが報われることは一切なく、結局何の説明もないまま数々の謎は放置され終了するのです。

以下ネタバレになりますが、ツッコミポイントの例をあげますと、ポニョの父「フジモト」というのは何者で、彼が大事に熟成させているモノは何なのか、水没した町はこの後どうなるのか、コレって実はものすごい大惨事ではないのか、宋介の父が見た船の墓場のようなのは一体何だったのか、結局それらの船は無事だったのか、宋介とポニョがおもちゃの船に乗って母を捜しに行くのを、避難民の大人たちは見咎めないのか、漂流していた母子とのやりとりや、暗いトンネルはやけに意味深だけど何を意味するのか・・・。ネット上でも似たような指摘が散見されます。あと、海水魚を水道水に入れる暴挙とか、宋介の母・リサの度重なる危険行動とか、父母を名前で呼ぶ過剰な民主主義的思想に対する批判なんてのもありました。

もちろん、そういうところにいちいち引っかかっていると、せっかくの楽しいお話を純粋に楽しむことができず損をするというものです。おっさんになるとそういうつまらない拘泥傾向が強いのですけど(それはそれで楽しいのですけど・苦笑)、先に列挙したツッコミポイントは、いずれも童話的表現には不可避な誇張ないし省略手法だとあっさり割り切ってしまうべきでありましょう。

しかし、考えてみれば過去の宮崎監督作品だって、いずれも日常生活ではありえないような超常現象的なことが起こっていますよね。怒り狂った大きな虫や、バスの形をしたネコが走り回ったり、やたら神々しい鹿みたいなのがいたりします。親がブタに変えられたかと思えば、イタリアではブタが飛行機に乗っています。箒に乗った魔女や、コマの上に立つバケモノも空を飛びます。空の上には城があって、火の力で歩く城もありました。

でも、これら過去の作品に関しては、わたしたちはとりたてて疑問を差し挟まず、すんなり受け入れて鑑賞しています。そればなぜなのか考えてみると、魔法使いや、神様・悪魔、お化け、物の怪、あるいは自然そのものといった人間の力を超えた力が前提の世界なんだから信じがたい現象が起こったって不自然ではないのだとか、圧倒的な画力があるから有無を言わさぬ説得力を持つのだとか、いくつかの理由が考えられますが、それらは「ポニョ」にだって同様に当てはまる話です。そこで思い至ったのが、不思議な現象が受け入れやすいのは「作品の舞台が現在私たちが住む世界ではないから」ではないかということです。「ナウシカ」は未来の最終戦争後を描いた物語ですし、「もののけ姫」の時代設定は室町時代あたり、「紅の豚」は世界恐慌後のイタリアが舞台だといわれています。「魔女の宅急便」「ラピュタ」「ハウル」などは欧州の町がモデルでしょうが、まあ架空の世界です。「トトロ」は日本(所沢といわれています)が舞台ですが、時代的にはおそらく戦後間もない頃、現在より数十年前のお話です。「千と千尋の神隠し」は現代の日本から物語が始まりますが、例のトンネルをくぐると、一昔前の湯屋のような建物に異形の神々が集う奇妙な空間が現れます(トンネルは「ポニョ」にも出てきたように、世界の変換装置として宮崎作品では重宝されていますね。メイが迷い込んだトトロの森に通じる道もトンネルといえるかもしれません)。こういう私たちの日常生活とは異なる世界の出来事であれば、その絵柄のかわいらしさも相まって、不思議な現象も受容しやすいように思います。

これに対して、「ポニョ」は現在の日本が舞台です。主人公の母親はデイケアサービスの職員であり、軽自動車に乗ってショッピングモールで買い物をします。いたってこんにちの日本的な光景であり、観る側としても自分の身の回りの世界だと認識します。そんなよく知る日常に、突如として「魔法」というファンタジー要素が入り込んできたとき、違和感を覚えるのはある意味当然で、その唐突感に戸惑ってしまうのです。そういうわけで、「ポニョ」に関しては、舞台がリアルすぎる分だけ、いちいち引っかかりやすくなってしまうのも無理はないといえるのではないでしょうか。

もっとも、ポニョが妹たちの協力により魔法の力を得て海の世界を脱し、リサ・カーと平行して海上を疾走する一連のシーンは、まさにありえない光景ですけど、圧巻です。これほどの画力があれば日常性を一気に突き抜ける豪腕的説得力を持ちます。また、作画は一貫して手書きでCGを使用せず、背景画は色鉛筆で塗り重ねたようなやわらかいパステル調です。過去の作品よりなおいっそうファンタジー感を強調する手法が採用されているようです。これは舞台設定のリアル感を和らげ、素朴な童話的世界感にたぐりよせる効果を狙っているのかもしれません。

ただし、そういう意味で言うと、最近の宮崎作品で必ず賛否両論が巻き起こる有名俳優の起用については、今回に関しては逆効果だったのかもしれません。わたし個人は、これまでは声優を専門としていない普通の俳優さんの起用には概ね賛成でした。プロの声優さんはとても上手なんですけど、そのぶん絵にはまりすぎて、いかにも作り物っぽく演劇的な感じが否めません。その点普通の俳優さんは、抑揚もそれなりにありつつ大仰な感じは抑えられ、朴訥自然でリアルな感じが好ましく思っていました。ですが、今回、そのリアル感を薄めてファンタジーの方向に持って行きたいのであれば、プロの声優さんでがっつりと「いかにも」な世界観をつくりあげてもよかったかもしれません。

――と、長々と書いてしまいましたが、まだまだ語りたくなるような事柄が出てくるかもしれません。やはり深読みをしたい欲求は抑えられないようです(苦笑)。ひさびさに関連書籍を買い込んでしまう予感がします。

まず購入した書籍はこれ

ジブリの森とポニョの海 宮崎駿と「崖の上のポニョ」
ジブリの森とポニョの海 宮崎駿と「崖の上のポニョ」
角川書店

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このように何回でも見て、勘繰って、深読みして悦に入るもよし、ポニョと宋介のかわいい冒険を素直に楽しがるもよし、いかようにも楽しめるこの作品には、やはり最高評価を与えざるを得ないでしょう。

(2008/08/11@ユナイテッド・シネマ金沢)

★★★★★