かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

バブルへGO!タイムマシンはドラム式

時は1990年3月。バブル絶頂。札束をふりかざしてタクシーを奪い合うなんていう究極の光景はさすがに東京だけの現象でしょうが、刹那的で楽観的な浮かれたムード自体は、やはり全国共通の感覚だったと思います。ユーロビートのディスコとか、学生主宰のパーティとか、ワンレンorソバージュ&ボディコンの太眉オネエチャンとか、DCブランドで着飾った若僧たちとか、いま思えばその狂乱的なハイテンションはまったく異様でした。けれども、こうして映像となってあらためてその様子を見せられると、何とも気恥ずかしい思いがいたします。当時22才のわたしはまさしくその当事者の世代ですから…。実際にそういうのも見聞きしてますし、ファッションなどはいくつかは身に覚えもあったりします…(汗)。おそらく当時の写真にはあの映画にそっくりなのがあるんじゃないかな。ダブルのスーツにピンクのシャツに花柄のネクタイとか。まさにそれ。アベちゃんだったらカッコいいけど、ああ、とても直視できたものじゃありません。

当時のわたしはといえば、大学を卒業して社会人となる、まさにその春。前年の就職事情は完全なる超売り手市場でして、劇団ひとりじゃありませんが、銀行が(それも長銀が)潰れるなんてまったく思いもよらないことでした。銀行・証券・生保・損保・商社の大手どころからいくつも内定をもらう友人たちが続出していました。わたしのようなボンクラ学生でも、ひとことふたこと言葉を交わしただけのたった1回の面接で某大手企業からあっさりと内定をもらったくらいです。数年後に訪れる就職氷河期の方々からすれば、銃殺してやりたくなるであろう脳天気なアホアホ世代でした。本当に申し訳ございません。

とはいえ、イナカの大学でしたから、映画にあったような、あそこまでハデな世界は実際にはありえませんよね(「ありえなくない?」「ありえるのかありえないのかどっちなんだ」)。社会人になってからは、高下駄を履かせられただけだったバブル経済という幻影が営業数値の基準としてしばらく現存していて、逆にそれがプレッシャーに感じられたクチです。やがて自分の無能さ、底の浅さを早々に自覚し、せっかく入った会社も自らドロップアウトしてしまいました。ですから、バブルの描写については「いたいた、あんな奴」みたいなあるあるネタ的感慨はあっても、「あの頃は良かった~」という郷愁めいた肯定的感覚は、実のところ個人的にはほとんどないのですよ。

ところが、この映画はそんなバブルの時代を決して否定していません。だってバブル崩壊を食い止めたいんですからね。作り手はきっといい思いをしたのでしょうね。むしろ賞賛しているようです。夢をもう一度!という図々しい姿勢は、ある意味潔いともいえます。さすがはホイチョイです。劇中の小ネタは、どうしても世代的にはいちいちツボにハマってしまいます。我々40才手前の者にとってはまさに直球ど真ん中なわけです(個人的に共感はできないので実は顔が引きつってたりしますが)。日立やフジテレビなどの協賛企業を臆面もなく前面に押し出しても、決して悪びれることはありません。だってタイムマシンは洗濯機ですよ、奥さん。バブル(=泡)だからって、ねえ。スターどっきり小野ヤスシですよ。ラモスはドーハの悲劇を回避して英雄となり、やがて代表監督になるのですよ。ティラミスはたしかに物珍しいデザートでしたよ。いやいや当時はスイーツという言葉はありませんよ。八木亜希子は…あの頃よりも30才を過ぎた頃からの方が個人的には好きです。

ホイチョイの往年の名作「私をスキーに連れてって」では「とりあえず♪」が合い言葉でしたが、今回はさしずめ「効くね~」でしょうか。アベちゃんは「効くね~」と言ってますけど、実はまったく効いていません。こいつら(=ぼくら)は、強烈な(皮肉交じりの)パンチを食らっても、たいがい楽天的に屈託なくへらへらしているってことでしょうか。懲りていないんですね。まあ、そう言われても、まるで反論できません。

★★★★

バブルへGO!タイムマシンはドラム式」公式サイト
http://www.go-bubble.com/