かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

蝉しぐれ

原作・テレビ版とも大好きなので、この映画版も当然観に行こうとは思っていたのだが、知人の話やネットの論評によれば、あまり評判がよろしくない。そんなわけで二の足を踏んでいたのだけれども、間もなく公開が終わってしまうと思うと、やはり映画館に足を運ばずにいられなくなった。

蝉しぐれ」公式サイト
http://www.semishigure.jp/

感想:
言われるほど悪くはない。というよりむしろ、かなり良い出来だと思う。ブーイングの多いふかわ&今田もさほど違和感はない。子役の演技が棒読みだとか酷評されているようだが、かえってそうした不器用さは純朴な感じをかもし出しており、あれはあれで(結果的には)よろしい。

この映画は一般的には20年想い続ける「純愛」がいちばんの見せ所なのだろう。だが、個人的にはその点は必ずしも最大のツボだったわけではなく(いや、最後の場面、駕籠の格子戸越しに見せた木村佳乃の切ない表情にはやられてしまったんですけど)、それよりも、「不変の友情」とか「親に対する敬慕」の美しさというものを堪能させてもらった。

それらが凝縮されていたのは、文四郎が父と最後に対面した後の場面である。門外で文四郎を逸平が待っていた。「もっとほかに言うことがあったんだ」と文四郎は激しく悔やむ。「人間は後悔するようにできておる」と逸平。この台詞、実はしみじみと深い。この「後悔」という心情は、全編通じてつきまとう(cf.「忘れようと、忘れ果てようとしても、忘れられるものではございません」)。

「父上を尊敬していると言えばよかった・・・何より、ここまで育ててくれてありがとうございましたと言うべきだった」。溢れ出すように心情を吐露していく文四郎に、逸平が声をかける。「泣きたいのか。俺はかまわんぞ」。口調がたどたどしい分、少年なりに励まそうと相手を思いやる感じが妙に生々しく心に響く。この一連のシーンはグッときた。

こうした友情の描写と同時に、文四郎が吐露した父に対する敬慕の念も感動的であった。原作では助左衛門と文四郎は実の親子ではなく、だからこそ血の繋がりを超えた敬愛の想いが心を打つのだが、この映画ではそういう描写はない。原作を知らない人にはその点が伝わるか懸念されるところだが、それを見事に補ったのは助左衛門(緒形拳)自身から滲み出る愛すべき人柄であった。テレビ版の助左衛門(勝野洋)は終始寡黙かつ実直で、見るからに清貧を地で行く侍だったのに対し(それはそれで十分魅力的だったが)、緒形拳の助左衛門は普段はぼんやりと穏やかで、裃を新調してほしいと愚痴をこぼすなど実に庶民的な、基本的には単なる貧乏武士であって、そんなオジサンが見せるあの暴風雨での活躍や、文四郎との最後の対面の毅然とした態度との落差がたまらないのである。しかも、文四郎のもとを立ち去る際のためらいは、彼の持つその等身大の人間くささが顔を出し、それがまた愛されるに値する味わい深い人物像をよく表していると思うのである。

原作は短編ではないのだから、2時間程度にまとめるにはかなりの箇所を端折る必要があるのだが、そういう意味では、わりと上手に工夫されていたのではないだろうか(単に、原作を知っているだけに、端折られた場面なり設定なりを自分自身で無意識に補っていたにすぎないという可能性もあるが)。

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