かっきーの雑記(仮)

あちらこちらで興味が湧いたものをとりあえず書き留めておく用。

情報化がもたらすモチベーション低下のワナ

激しく納得した記事。
http://artifact-jp.com/mt/archives/200507/networkworldranking.html#001616
ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる

 将棋の羽生善治名人が最近出した書籍『決断力』の話から派生して面白い話題があったのでメモ。
 世界統一ランキングが簡単に見えるようになって、井の中の蛙にならなくて済むようになったが、同時に井の中の蛙でないと、努力するモチベーションも生まれにくいという話です。


元ネタは橋本大也さんのブログ「情報考学 Passion For The Future」。
http://www.ringolab.com/note/daiya/archives/000645.html

どの世界においても若い人たちが嫌になる気持ちは理解できる。周りの全員が同じことをやろうとしたら、努力が報われる確率は低くなってしまう。今の時代の大変なところだ。何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって継続してやるのは大変なことであり、私はそれこそが才能だと思っている。


この文章を読んで、そうした継続できる情熱が育ちにくくなっているのが現代なのではないかと思った。情報化社会では、個人の才能はすぐに全国、全世界の統一ランキングのどこかに位置づけられてしまう。最初から上位になれる人は稀だ。大抵は何千位や何万位から始まる。それでは嫌になってしまう。

かつては統一ランキングが見えなかったので、各地域のトップ、地域の秀才がそれなりに満足して存在することができたように思う。地域のトップに到達すると、さらに上の広い世界のランキングが見えて、新たな挑戦が始まっていた。徐々に拓ける世界展望というモデルが、多くの才能を育てていたのではないか。

同じような趣旨の記事がこちらにも。
http://semiprivate.cool.ne.jp/blog/archives/000278.html
100年前だったら、村で一番笛が上手かった奴は、それを誇りに生きていけた。
50年前だったら、都会に出て行って、自分と同等以上に上手い人とあう。
現在では、CDを聞き、インターネットで世界中の情報を見て

絶望する

イチバンにはなりようのない世界。
上には上がいる。それは昔から一緒だ。
しかし、世界で一番上の情報が、いきなり目の前にさらけ出される。
階段を何段登ればそこに追いつくのか?

今の世の中、中間の梯子が見えないモノが多すぎる。
にもかかわらず、世界のてっぺんにいる人間が身近にいるかのような感覚を常に与えられる。
メディアのマジックという奴か。

目端の利く人間は、自分が到達できる範囲を目ざとく目測して、その結果

絶望する。

これがまあ、「優秀なニートのつくりかた」だろう。
明らかに人より優れた能力があっても、「十分でない」と絶望感を感じて、全てを放り出してしまう。


そこまで極端ではないにせよ、これにかなり近い傾向を自覚。
そうか、そういうことだったのか。。。